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神田和泉屋
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酒庫 神田和泉屋 の場所
神田和泉屋の創業年の昭和11年の絵地図です 道路などの変更はまったくありません
神田和泉屋は神田にある地酒とドイツ辛口ワインの専門店です。靖国通りと本郷通りの交差した小川町の交差点の角、ファミリーマートの裏通り(スポーツ用品街の靖国通り「紳士服のコナカ」真裏)にあります。看板も酒屋らしい雰囲気もありませんが、「暖簾」が掛けてあるのが目印です(
店入り口)
。
神田和泉屋のある場所はその昔、顕微鏡院という医学研究所の桜並木の正門のあったところです。と言っても今はその面影もありませんが、顕微鏡院は現在は九段に移転して今も血液の検査などをしています。小川町は神田の中で唯一「まち」と呼ぶ町で、その他の町はみな「ちょう」と言います。古老の話では顕微鏡院があったころは、小川町は今の数倍も広く、ほかの町とはちょっと違っていたということです。ちなみに「江戸っ子」ですかとよく聞かれますが、私達は「江戸っ子」とは言わず昔から 「神田っ子」と自称しています。
江戸総鎮守 神田明神
神田和泉 屋から坂上「お茶の水駅」に行く途中には、徳川さんの前に江戸を支配していた太田道灌の娘の病気平癒のために建立された「太田姫稲荷神社」や大久保彦左衛門の屋敷跡、勘定奉行(江戸時代の財務大臣)小栗上野介の屋敷跡、ニコライ堂など、「水道橋駅」に向かう道には薩摩藩藩邸跡(現在の池坊あたり)、橋の向こうには江戸総鎮守の一六〇〇年の歴史をもつ「神田明神」、東京大学の前身の昌平講(江戸時代の学問所)などがあります。
現在の小川町には、江戸時代には将軍が上野の寛永寺に参内する重要な通り道「神田橋御門」の警護を担当した十万石の大名であった京都淀の稲葉丹後之守(春日局の後裔)の小川丁中屋敷があったそうですが、古老の話ではご維新の後は神田和泉屋のこの周辺は町屋となり、魚屋の並びに侯爵子爵の屋敷があったり、なんともごちゃごちゃしたところだったそうです。大正時代の現在の小川町の靖国通りはエノケンが歌ったモボ(モダンボーイ)モガ(モダンガール)が闊歩した東京一にぎやかな通りで、カフェが立ち並び、ロシア革命で逃げてきた白系ロシア人の女性などが働いていたそうで、今も天下堂ビル、資生堂ビルなど、当時のカフェだった名前がビルに残っています。中央大学、明治大学、日本大学、東京電気大学、文化学院、アテネフランセなど学校の街でもあり、近くには神保町の古本屋街がある文化の臭いのある町でもありますが、祭りがとても盛んで、神田明神には町内の氏子神輿が勇壮に百基も宮入をします。2年に一回の祭りですが、一年も前から準備が始まり、すべてが祭り優先となり、誰も仕事が手に着きません、という神田のど真ん中です。
余談ながら神田和泉屋のある小川町町内には稲葉丹後之守の屋敷内にあった「幸徳稲荷神社」が祀られ、神田祭には写真の神輿が担ぎだされます。ついでながら神田和泉屋店主はこの「幸徳稲荷神社」代表総代を勤めています。
幸徳稲荷神社
平成19年2月3日 節分祭
写真の御輿は神田和泉屋の町「小川町」のものです
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神田和泉屋 への交通機関
JRお茶の水駅をご利用の場合:「秋葉原駅」「神田駅」寄りの聖橋出口を出て地下鉄千代田線のりば入り口のある「本郷通り」を小川町交差点方向に坂を下ってください。途中右手に「ニコライ堂」「三井住友海上本社」江戸で一番古い「笹巻けぬき鮨」、左手に「総評会館」などがあります。下りきったところが小川町交差点。その交差点の一つ手前「ファミリーマート」手前を右折、約50b先右側にあります。JRお茶の水駅から徒歩7分の距離です。
地下鉄ご利用の場合:小田急線乗り入れ千代田線「新御茶ノ水駅」京王線乗り入れ都営新宿線「小川町駅」丸の内線「淡路町駅」が便利です。この3本の地下鉄はすべて同じ地下道でつながっています。地下鉄ご利用の場合は小川町交差点に出る「B5出口」を登ってください。靖国通りに出ます。スポーツ用品店の並ぶ道です。道路左手遠くに三菱東京UFJ銀行が見えます。それよりずっと手前、地下から道路に出て4軒目右手に「ドトールコーヒー」、これに沿って右に曲がった突き当たり。これを左折、約20b先の右側です。看板も酒屋らしい雰囲気もありません。強いて目印と言えば隣りが理髪店で例の赤青白のねじりん棒が回転しています。地下鉄「B5出口」から徒歩1分です。
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